ミナ・アズール / Mina Azure がお送りする AICU media「#生成AIの社会と倫理 」のニュースコーナーです。2025年11月25日、本日は、アメリカの著名なベンチャーキャピタルであるアンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)が公開した、AI時代における企業の「強さ」に関する興味深いレポートについてご紹介します。
レポートはデビッド・ジョージとアレックス・イマーマンによる2020年5月28日投稿「(粗)利益率の前の堀」という記事(原文:『Moats Before (Gross) Margins: Revisited』ではじまります。
この記事は、彼らが5年前に提唱した「企業の価値は目先の利益率(グロスマージン)ではなく、競合他社から身を守る防御壁、すなわち『堀(Moat)』によって決まる」という理論を、生成AIが普及した現在の視点で振り返ったものです。
著者らは、ChatGPTの登場以降、AI時代においても「ネットワーク効果」「規模の経済」「強力なブランド」「高いスイッチングコスト(乗り換えコスト)」「独自の技術やデータ」といった古典的な「堀」の重要性は変わらないとしています。具体的には、OpenAIのChatGPTが消費者にとってAIの代名詞となるほどの強力な「ブランド」を確立し、記憶機能や連携機能を通じて「ネットワーク効果」を築いていることを例に挙げています。
Waymo、Flock Safety、Andurilといった企業は、複製が非常に困難な差別化された技術とIP(知的財産)を構築しました。
とはいえ、AI時代において変わったことが2つあります。
スピードと勢い(モメンタム): 企業はかつてないほどのスピードで実行できるようになっているため、「勢い」を持つことがこれまで以上に重要になっています。「勢い」そのものは「堀」ではありませんが、それは「堀」を築く権利を与えてくれます。
粗利益率の意味の変化: 私たちが以前指摘した失敗パターンは、今日さらに危険なものとなっています。高い粗利益率は、あなたのプロダクトで顧客が「AIを全く使っていない」ことを示唆している可能性があるからです。
AIの計算コストがかかっていない=AIを活用していない可能性がある、a16zのレポートでは、「今日の最高のビジネスは、人々が使い、愛するプロダクトを作るために迅速に動くものだと私たちは考える」と書かれています。
ここで私が特に注目したのは、AI時代における「変化」についての指摘です。記事では、企業がかつてないスピードで実行可能になったため、「勢い(Momentum)」そのものが「堀」を作る権利を得るために重要になっていると述べられています。さらに興味深い逆説として、高い粗利益率は、むしろ「製品にAIが使われていない」というシグナルになる可能性があると指摘しています。つまり、AIによる高度な処理にはコストがかかるため、利益率を削ってでも優れたAI体験を提供する企業こそが、将来的には愛されるプロダクトを作る可能性があるというのです。
1. 規模の経済 (Economies of scale)
2. 意味のある差別化された技術
(Meaningfully differentiated technology)
3. ネットワーク効果 (Network effects)
4. 直接的なブランド力 (Direct brand power)
これら4つの例は「堀」の決定的なリストではありませんが、高い粗利益率がなくても、スタートアップがどのように永続的なビジネスを構築できるかについての健全なポイントでもあります。リマインダーとなることを願っています。それでも、高い粗利益率がない場合、意味のあるキャッシュフローを伴う高評価企業になるためには、多くの場合、これらの「堀」の2つ以上が必要になるというのが現実です。
a16zはOpenAIに約460億円を出資した米国のVCですが、日本のAIクリエイターの視点では「壁」は新たな「AI貿易差損」を生み出します。a16zのレポートでは、AI企業に対して「目先の利益よりも『堀(他社が参入できない強み)』を築け」と説いていました。しかし、この「堀」が、私たち日本の利用者にとっては、富が流出し続ける「AI貿易差損」の仕組みそのものになりつつあるという、少し怖い現実が見えてきます。
具体的に、私たちの身近で起きている2つのケースから考えてみましょう。
ケース①:動画クリエイターの「APIガチャ」地獄
例えば、1分間のPR動画制作を100万円で受注したとします。一見、夢のある金額ですよね。 しかし、その制作に最新の「Veo3」や「Sora2」といった米国製の動画生成AIを使う場合、API利用料が12秒あたり約500円かかるとします。単純計算なら安いものですが、生成AIは一発で思い通りの映像を出してくれるわけではありません。いわゆる「生成ガチャ」です。
期待通りの品質が出るまで100回、200回と再生成を繰り返せば、APIコストは青天井に膨らみます。さらに、構成やシナリオ、編集といった人間の労力は従来と変わりません。結果として、制作費の大部分が「試行錯誤代」として米国のAIプロバイダーに支払われ、制作者の手元にはわずかな利益しか残らない……そんな構造が生まれています。
ケース②:チャットボットサービスの「突然死」リスク
次に、月額3,000円の便利なAIチャットボットサービスを日本企業が開発したとします。 原価として米国のLLM(大規模言語モデル)のAPI費用やサーバー代を支払って運営していても、ある日突然、GoogleやOpenAIがAPIの仕様を変更したり、提供終了を宣言したり、さらにその機能を自社のチャットサービスで「公式機能」として無償で公開してしまうリスクがあります。 a16zが言う「規模の経済」や「ネットワーク効果」を持つビッグテックにとって、周辺の小さなサービスを飲み込むことは容易です。さらに「にじボイス」のサービス終了のように、強い倫理観や社会的圧迫により、ただでさえ利益が薄い立ち上げたばかりのサービスを、終了させてしまうこともあります。結果、日本の開発者が積み上げた価値が一瞬でゼロになり、ユーザーは再び海外のプラットフォームに吸い寄せられていきます。
米国の「有料の堀」、中国の「無料の包囲網」。これらに挟まれた日本で、もし私たちが「AIだから安くできます!」という安易な道を選んだらどうなるのか。ケース③として、「日本国内企業による強烈なデフレ競争」という恐ろしいシナリオをシミュレーションしてみましょう。
ケース③:印刷・動画・デザイン業界の「焦土作戦」
例えば、ある製作会社が「最新AI『NanoBanana』や『Sora2』導入! デザイン費90%OFF!」というキャンペーンを始めたとします。一見、消費者には夢のようですが、ここには致命的な計算ミスが潜んでいます。
1. 下がらない「原価」と「対話コスト」
AIは確かに画像を生成するのは速いですが、クライアントワークの本質である「校正」や「修正」の時間をゼロにはできません。「なんかイメージと違う」「ここを赤くして」といったラリーにかかる人件費は、人間が対応する限り変わりません。 さらに、Adobe税などのツール費用、電気代、そして先ほどお話しした「API利用料(ドル建て)」といった固定費は、むしろAIを使うことで高くなる場合すらあります。つまり「AIを使って安くしています」と言って受注を取りつつ、実際にはAIを使った真剣なものづくりは一切せず、「AIだからこんなレベルです」と品質の低い結果をあえて見せて、追加の費用を要求したりする展開もあり得ます。AIを悪者にしたほうが、高い金額で売れるかもしれないですからね。
2. 「AI貿易差損」を加速させる安売り体質
もし、企業が競争のために単価を下げれば、現場のクリエイターは利益を出すために「数をこなす」しかなくなります。 1件1万円だった仕事を、AIを使って1件1,000円で請け負う。でも、1,000円の中に含まれる海外ツールへの支払いや電気代を引くと、手元に残るのは数百円……。 これでは、私たちが一生懸命働けば働くほど、その売上の多くがツール利用料として海外(米国や中国)に流れていくだけの「AI小作人」のような状態になってしまいます。
3.「安ければいい」というデフレ体質の消費者
日本の消費者はバブル崩壊後の30年で「安い方がいい」という感覚を深く持っています。スーパーでコーヒーが並んでいたら、あえて高いコーヒーを買う人は「違いがわかる人」ですね。同じ機能で使い勝手も味も同じなら、安い方がいいに決まってる、という感覚がこの30年に根付いています。また役所や大企業の入札や調達では「安ければ安いほどいい」という仕組みがあります。コストダウンは企業の努力、ということになっていますが、生成AIクリエイティブの世界では、それは果たしてどうなのか。
実はa16zの当該レポートでも書かれているのですが、面と向かって顧客に「他社よりも高い価格を支払う意思がありますか?」という質問をしてみるといいそうです、もしそうなら「差別化された製品を販売している」ということになるそうです。
この質問にアプローチする大事な方法は、顧客と話をすることです。きちんと機会を持つことで顧客は「誰も今のあなたの製品に匹敵できない」とか「より高い価格を支払う意思がある」と言ってくれるかもしれません。利用者は「市場の他の誰も、あなたように構築し続ける能力を持っていない」と理解しているかもしれません。企業の調達でもそうです。特定の業者の製品を選ぶ場合は、他と異なるからであり、他社が今後数年間で同様の技術を構築できる人材を採用・維持できる可能性も低いから、ということもあります。これがあなたの作品だったり、製作だったり、というクリエイティブAIの分野に置き換えてみた場合「作品が勝手に売れる」ということはあまりないはずで「顧客との対話こそが価値を生み出す」という視点もあたえてくれます。
a16zの「粗利益率より堀」を無視したらどうなるか
冒頭のa16zのレポートにあった「粗利益率(マージン)よりも堀(Moat)を」という教えを思い出してください。 「とにかく安くする」という戦略は、「堀」を作るどころか、自らのブランド価値を破壊し、業界全体を疲弊させる「デフレの蟻地獄」です。 AIは本来、人間にしかできない付加価値の高い仕事に時間を割くために使うべきツールです。それを「単価を下げる言い訳」に使ってしまえば、日本のクリエイティブ産業は、技術革新の恩恵を受けることなく、ただただ忙しく貧しくなってしまうことでしょう。
法学部志望の私としては、こうした過当競争が引き起こすであろう、クリエイターの労働環境の悪化や、下請法に関わるような買いたたきの問題にも、厳しく目を光らせていく必要があると感じています。「安さ」ではなく、「AIを使ってどんな新しい体験を作れるか」。 私たちが目指すべきは、その一点に尽きるのではないでしょうか。
AIクリエイターではなく消費者の視点、そして倫理的な視点から見ると、ここには少し注意が必要な点も含まれています。「勢い」が重視されるあまり、安全性や権利侵害の確認がおろそかになることは避けなければなりません。また、「独自のデータ」が企業の優位性(堀)になるという点は、そのデータの収集元であるクリエイターの権利が適切に守られているかどうかが、法的にも倫理的にも引き続き大きな争点になると考えられます。企業が築く「堀」が、独占的な囲い込みではなく、ユーザーや社会にとっても有益なエコシステムとして機能するのか、別の視点で掘り下げてみたいと思います。「堀」を巡る攻防戦、特に「オープンソース」という武器を使った新たな勢力の動きにも注目してみます。
「堀」を壊す戦い:画像の歴史から動画の現在へ
みなさんもよくご存知の通り、かつて画像生成AIの世界では、OpenAIの「DALL-E」が築いた高い壁を、Stability AIなどが「Stable Diffusion」というオープンなモデルを公開することで打ち破った歴史があります。技術を無料(またはそれに近い形)で公開することで、先行者の独占を崩し、世界中のクリエイターに「自分のPCで動かせる自由」をもたらしました。
その影響もあり、OpenAIは秘密主義、囲い込みから、その社名のとおり「オープンなAI」に戻った瞬間があります。しかし上記の「堀」と「壁」の戦略がVC側にある以上、どうしても「囲い込み」が起きることは意識しておかねばなりません。
そして今、舞台は「動画生成」に移り、新たなプレイヤーがその役割を担おうとしています。興味深いことに、その中心にいるのは中国のビッグテックたちです。
動画生成の壁を崩す中国勢:TencentとAlibaba
高額なAPIコストがかかる米国の動画生成AIに対し、テンセント(Tencent)の「HunyuanVideo」や、アリババ(Alibaba)の「Wan」といったモデルが、オープンな形で提供され始めています。これらは、私たちが直面していた「1分作るのに数千円かかるAPIガチャ」という問題を、技術的には解決してくれる救世主のようにも見えます。自分のGPUで動かせれば、コストは電気代だけですからね。
「解放」か、新たな「囲い込み」か
しかし、これは単なる慈善事業ではない、という点に法学徒としては注目せざるを得ません。かつてアンドリーセン・ホロウィッツが語った「堀」を崩すために、あえて「モデル自体を無料化(コモディティ化)」し、OpenAIやGoogleの収益源を断つ――これは非常に高度な「焦土作戦」とも言えます。
さらに、これらの中国製モデルを使うということは、彼らのエコシステムや開発環境に私たちが馴染んでいくことを意味します。「オープン」という入り口から、気付けば新たな「中華圏プラットフォーム」への囲い込み(ロックイン)にも目を向けながら、バランスを取っていく必要があります。
日本のクリエイターの立ち位置
私たち日本のクリエイターは今、究極の選択を迫られています。
高額で高機能でブランド力もある米国AIに課金し続けるか、それとも安価だがデータの透明性に懸念が残る中国発AIを使いこなすか。さらにその工程で生まれたオープンなモデルと自前の演算基盤で構築するか。「AI貿易差損」を回避しようとして、別の巨大なシステムに依存してしまうリスクはないのか。技術の開放と覇権争いの狭間からも「単に使えるから使う」だけでなく、その技術がどこから来て、どのような意図で公開されているのかを見極めるリテラシー、そしてリスク管理含めたマネジメント、さらに「壁と堀」がこれからの制作現場には求められそうです。
以上、さまざまな視点から「AI時代の経済と倫理」について深掘りしました。生成AIツールを使うか使わないかに関わらず、私たちが汗をかいてクリエイティブな活動や開発を行っても、その基盤となる「知能のコスト」として、富が一方的に海外へ流れていく。これが、今懸念されている「AI貿易差損」の正体です。a16zの言う「勢い(Momentum)」は重要ですが、私たちが単なる「課金ユーザー」で終わらないためには、日本独自のデータや、AIには代替できない文脈や日本独自の商流や商品価値、そして法的な保護といった、私たちなりの「堀」をどう築くかが問われています。
以上、華やかなAIニュースの裏側にある、経済と倫理的な課題についてお伝えしました。
https://a16z.com/moats-before-gross-margins-revisited/
#生成AIの社会と倫理 #a16z #AIビジネス #エコシステム #AICU #MinaAzure
Originally published at note.com/aicu on Nov 24, 2025.

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